”普通の人間だからこそ書きたいこと” プロフィール記事

About me

※プロフィール記事の為、先頭に固定
最終更新2023/03/28

プロフィール記事ということで、このブログを書いてる人がどんな人間なのか知ってもらいたいなと!

現在、カナダで生活を送りながら、私立のカレッジでデジタルマーケティングの勉強をしつつブログを始めました。

ブログや何か記事を書いた経験はないけど、考えるよりもまずはやってみようという気持ちです。


なので少し長くなってます(笑)




小学校低学年からサッカーを始めて、高校時代には子供の頃からの憧れであった、

全国高校サッカー選手権大会に出場。

その後、一年間の浪人生活を経て早稲田大学に進学。

卒業後は志望していたゲーム会社の営業部にて3年間働き、

今はカナダで留学しています。


文字だけで見るとトントン拍子に人生が進んでいるように見えるし、友人からも

「サッカーも勉強も就職も、苦労したことあるの?」と聞かれることもあります。

正直どの過程でも挫折の連続で何度も何度も色んなことに打ちのめされてきた人生でした。

特に”卓越した才能の持ち主ではない”自分はたくさん失敗しその度になんとか乗り越えていく、

というような人生です。


ただ、たくさんの失敗と挫折を経験したことで得たものも多く、

これは

”平凡だったからこそ得られたもの”

だと思います。


ここでは、今紹介した経験を少し深堀りながら

ブログを書くに至った経緯や目標などを綴っていきます!



“挫折と栄光”サッカーがもたらしたもの

2002年のサッカーワールドカップを運良く現地で観戦したことから

サッカー人生は始まりました。

そしてサッカーにハマっていく内に自分の中で目標が2つできました。


1つはプロサッカー選手になること。

2つ目は全国高校サッカー選手権に出場すること。


元々運動神経が抜群に良いというわけではないので、

難しい目標ということは百も承知。

なので理想と現実の差に苦しむことも多々ありました。

しかしどんなに苦しい時間があっても続けてこれたのは、

プロサッカー選手に魅了され、

テレビ放送がある全国大会でプレーしている高校生に勇気をもらっていたからです。

自分も自分自身の力で人に影響を与えられるような人になりたい

という思いが毎日自分を突き動かしていました。




高校生に上がる時、実家のある千葉県から熊本へ行き、寮に入りながらサッカーをする道を選びました。

目標の為には実家を離れてサッカーに集中する必要があると中学生ながらも考えたからです。

当時は思い切って勢いで家を出たけど今考えるとすごいなと思う(笑)


親も反対していたし賭けに出るようなものだったから。

自分で決断したらもう動かないこの性格で日々親を説得、

「絶対に全国大会に出るというのなら、行ってきていいよ」

最終的に折れたのが親の方でした。

常に思う、反対はするけど最終的には自分の決断を尊重してくれる親なんです。


正直高校入る前はすぐに全国出れると思っていたし試合にも出れると思っていました。

良くも悪くもすごく楽観的でポジティブだったから(笑)


しかし現実は真逆で、スタメンどころかAチームにも入れない、

そんな状態が続きました。


技術もフィジカルも”並”の実力、そりゃそうだ。何を夢見ていたんだ。


自分の不甲斐なさと

「こんなにも通用しないのか」

という悔しさで自分のなかでは大きな挫折でした。


また、膝のケガで思うように走れなかったり右足の大ケガで入院をするなどの事態にも見舞われて、

心が折れるタイミングなどいくらでもあったなと今振り返ると思います。


でも夢は諦めたくないし、親や地元の友達に絶対叶えるって言っちゃったしなと、

とにかく必死に練習して自主練も毎日して

自分の目標だけは見失わないように

と自分に言い聞かせてました。

監督やコーチの部屋に「どうすればいいか」と聞きに行ったりもしてたな。



本当に自分の目標達成することだけを毎日考えて生きてた。

その甲斐あって、

3年生になるころにはAチームでプレーできるようになり、


最後のチャンスで全国高校サッカー選手権への切符を掴みました。


旧国立競技場で行われる最後の年、

夢のピッチは光って見えて、

今まで経験した苦しみが一瞬にて報われた、そんな気がした。

そして思いました、

「ゆるぎない信念を持って努力し続ければ、報われる日は来るんだと。」


この試合を見ている誰かに勇気を与えられるような、そんなことができたらなと一秒一秒を噛み締めてプレーしたことを覚えています。



この大会で自分が誰かに影響を与えることができたのかなと当時は思っていたけど、

今思うと、試合後の多くのLINEやメッセージがその答えだったと思います。


いい大人とは?

3年生の1月に部活を引退したが、進路は決まっていませんでした。

サッカーで大学に行ってサッカーを続けるか、一から勉強して受験するか。

自分でも何度も考えて、親にも相談して出した答えは、

勉強して大学に行く

という選択肢だった。


そう決めた理由は、

魅力的ないい大人になる為でした。


この先の人生を考えた時に、仮にプロになったとしても引退後の方が人生は長い。

それにプロになれなかった場合、

”サッカーだけをずっとしてきた”

という人間よりも

”サッカーで得た経験もありつつ、大学で色々な人と出会って新たな知見も広がっている人”

そんな大人に将来なりたいと思ったのです。


良い大学には今まで関わったことのないような人がたくさんいて、

今までサッカーだけの世界だったのが、様々な方向に一気に広がる。

そんな環境で自分を磨くことができる。


知識・経験が豊富で考え方が成熟している。というのが

当時の自分にとっていい大人の定義でした。

サッカーをずっと続ける選択肢を否定しているわけではないし、あくまで自分自身の考え。

あと、客観的に見て自分がプロになる可能性が限りなく低いということも受け入れていました。


大きな目標の一つを諦めることにはそりゃ抵抗はありました。

諦めたくないという気持ちももちろん。

けど、人生には覚悟を決めなければならない時が必ずある


それは諦める覚悟である程受け入れがたいものだけど、それが人生。


これが自分で出した答えで、

諦める覚悟と同時に新しくチャレンジする覚悟も決まった。


偏差値を20以上げた浪人生活

遅れることは悪いこと?

部活が終わって受験モードに切り替えて勉強!

といきたいところであったが、当時は勉強のやり方さえ知らなかった。

周りも関東の大学を受験する人は全くいないため、

情報もなくなにもかもわからないまま数校受験し、結果を待ちました。


当然ながら一つも受かることなく

見事全落ち

受験をなめてた。またも楽観的(笑)

当時は一生懸命だったけど、

今思うとよくその状態で受験したなと思うくらいにひどかった。

浪人が決まった時、家を飛び出して数時間外へ出て行ったことだけ覚えてる。


あまりの絶望でどこで何をしていたかは全く覚えていないけど(笑)

その時の自分にとって”周りから一年遅れる”ことが怖かった。

その不安は大学に入ってすぐに吹き飛ぶのだが、

当時は”遅れる=悪い”というような印象があったからです。

今思えば、人生たまには遠回りも必要で

遠回りしたからこそ、今の自分がある

って思。

目標は大きく持ってみる

そうして通った予備校初日。

授業前の自習の時間に何をしたらいいのかわからず、

とりあえず筆箱だけ持って、先生に尋ねた

「受験勉強ってなにをすればいいですか。筆箱なら持ってます!」

自分でも怖い、度胸があるのかアホなのか。たぶんどっちもだ。

でも一つだけ心に決めていました。

「やるからにはトップを目指す」

そして目標は早稲田大学に決まった。

(慶応は記述が多いと聞き断念(笑))

全教科一番下のクラスで最初のテストで出た偏差値は40代。


第一志望に書いていた早稲田大学はもちろんE判定。

友達からも

「おまえが早稲田行ったら本書いてあげる」と言われるほど。


それでも「最初はこんなもんだろ」とポジティブでした。

その後予備校で勉強をしている内にと、

学ぶことの楽しさに気づいたんです。

何も知らなかった分、わかることが増える喜びを知り、

夏にかけて一気に学力が伸びました。

伸びたといってもましになってきたというレベルだが(笑)


しかし秋から冬は地獄。

自分のレベルが上がり目標が見えてきた分、はっきりとわかる

どれだけ目標から遠い位置に自分がいるのか、が。


ずっと書き続けてきた模試の第一志望校の横にE判定以外の文字は書かかれることはなかった。


それどころかほかの学校すらも確実に受かる見込みがない。

絶望の連続。

どんなに勉強しても理想と現実のギャップが埋まらない。

それでも目標だけは変えなかった。

てか変えたくなかった。


最後まで自分を信じたかったし、この時も周りに俺はできると豪語してしまっていたし、、。

サッカーの時も勉強でも大きくて難しい目標を、自分からできると言ってしまう。

だけどこのおかげでいつも、

逃げるという選択肢が元々なくなっていました。

そして逃げ道のない時人間はゾーンに入る。


あ、もうこれはやるしかない、と。


また、覚悟が決まると気持ちの面でもさっぱりするものです。

どんなに模試が悪くても

3分落ちこんだら切り替える。よし、次だって。

なにか大きな目標を目指すとき、

こんくらいの割り切り方はすごく大事だと思います。

点と点が線でつながる

あっという間にまた受験シーズンがやってきて

もう落ちることは許されない2度目の冬。


そして苦しみながらも耐えて耐えた先にあったのは、

早稲田大学への切符だった。


進学先は早稲田大学スポーツ科学部

競技歴方式という入試方法で、センター試験の点数と高校時代の部活成績を加味しての採点方法。


高校で頑張ってきたことがここに繋がった。


たまにふと思う、

人生で頑張ってきたことは必ずどこかに繋がる

それは自分が思いもよらなかったことに繋がったりします。

努力してきた点と点が繋がって成果を生む。

それを身に染みた経験でもありました。

入学式の写真がなかったので卒業式の写真を(笑)



広い世界を知らずして死ねるのか

人生で一番の青春と呼べる大学生活を過ごした後、

ゲーム会社に就職しました。

ここでも色んな経験を積み、本当に尊敬できる先輩にも出会いました。


しかしある時ふと思ったのです、

このまま日本という極東の島国で人生が終わっていいのか。

もちろん海外旅行は行ったことあるが滞在したことはなく、英語も話せない。

よく考えれば海外のことをよく知らない自分が、人に影響を与えるほどの人間になれるのだろうか。


日本のことしか知らなくて自分の思う魅力的な大人になれるのか。

そう思い決断した、日本を出ようと。

海外の文化・ビジネス・環境・生き方、について模索して世界を知る。

グローバル化が進む現代社会の中で、

語学力や海外での経験・知識は今後必ず必要になってくる

そう考えて会社を辞めることにしました。


安泰な人生、日本での心地よい暮らしを捨てることに躊躇いはありませんでした。

大きなものを得るためにある程度の犠牲はいとわない。

そんな勢いです。


ほとんどの人は応援してくれたけど、

ちゃんと各方面から反対もされたし、理解されないこともありました。

けど、「人生いつ死ぬかわからないのなら挑戦できるうちにやっておこう」

と決めていたし、

いつも”死”を意識しているからこそ、生きてるうちに思い切ったことをしておきたい。

って考えていました。

そして今、カナダにいます。

今挑戦中のCoop留学についてはまた別の記事で。


同じ目線から伝えたいこと

このように、サッカー・勉強共に多くの挫折を乗り越えて

今があり、今もまだ挑戦中です。


平凡な自分でも周りの人の力も借りながら

大きな目標を達成して今を生きてます。

そんな経験があるからこそ伝えたいことがあり、

自分から発信していこうと決めました。



ストレス社会で不安も多く、

目に見えないプレッシャーを感じたり、

時に孤独と戦ったりする人もいると思います。

また、自由に生きる時代に変わりつつあり、

何かに挑戦しようとしていたり、

環境を変えようとしている人も多くなっています。


そんな時に、何かの壁にぶち当たった時、

自分の発信した言葉でその人を助けていけるように。

なにかプラスの影響を自分の言葉がもたらせるように

そんな思いでやっていきます。


自分の人生が他の人の人生に役立つことを祈ってます。

~~追記~~
英語の記事も書いてます!

理由はたくさんあって、留学で作った海外の友達に読んでもらいたいとか、カナダには日本に興味を持っている人が多いのでそんな人にも届けられるようにとか。

バンクーバーで出会った日系カナダ人の友達に相談しながら表現にもこだわっているので興味がある人はぜひ読んでみて下さい!


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